変わる美学と変わらない美学
今まで安穏と生きてきた場所から動く時、それはいつであっても大変なものだ。
無意識のうちに訪れる変化もあるが、それを自覚的に、問題意識を持ち続けつつ、行う事の何としんどい事か。
だから、そういう人は尊敬出来る。自分が到底できない事、それに一抹の恐怖と多大な憧れを感じる。
ただ、無意識のうちに訪れる変化に抗い、そのままで居続けようとする事も、しんどいのだ。
そういう人も尊敬出来る。それに対しては一抹の憐れみと多大な憧れを感じる。
どちらを選ぶのが良いのか、それは個々人の美学次第だと思う。
変わる事はしなやかで、行動的ではあるが、ある種のずる賢さ、抜け目なさを感じる事がある。
変わらない事は、強く固く、叙情的ではあるが、ある種愚かで、感情論に振り回されがちだ。
どちらも酷く人間的で好きだし、そういうもの、ことを愛したい。
一つ言えるのは「凪」は駄目だということだ。
動こうとせず、留まろうともせず、流されるまま。
酸いも甘いも知る賢者ではあれば行き着くところかも知れないが、それは人生の主人公としての死と同意義だ。
俺はあと数年で漸く鎖が解ける。その頃には時すでに遅しかも知れないが、動くのか、動かないのか、今のうちに決めねばならない。
どちらの美学が自分に合うのか、よくよく考えなければならない。
結果が野垂れ死だろうが、孤独死だろうが、病死だろうが、なんだっていい、人生の主人公としてのバトンを上手く渡せさえすればそれでいい。
老兵は人知れず去るべきなのか、それとも死ぬまで戦うべきなのか。
最近よく悩む。