つれづれなるままに

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8月1日、四季と季節の終わり。

今日から8月だ。

夏至から一ヶ月以上が過ぎ、日が長い時期も終わりを迎えていく。

これからが夏真っ盛りなのだろうが、既に次の季節を感じてしまうのは悪い癖だろうか。

花粉症により風情もへったくれもない春を除けば、季節の変わり目は何度も美しく、尊い

 

特に夏の終わり、秋の終わり、冬の終わり。

春に生まれ、冬に死ぬイメージで捉えれば、夏は生命の絶頂期といえる。

夏の終わりは物悲しさ、それは祭りの終わりにも似ていて、輝きが少しずつ失われていく、そんな感覚を持つ。

そういった輝いた故の儚さはいつでも心を掴んで止まない。

比べると、秋の終わりはそういった物悲しさも一通り過ぎ去り、ある種清静とした時間が流れている。

秋は恵みであり、冬に向けた準備の時間でもある。秋の終わりはその準備が終わりでもある。

虫の音が増え、そして消えていく。そこにも情景があり、輝きが失われ、枯れゆく姿もまた美しい。

冬の終わりは雪が溶け、新たなる芽生えを感じられる。それはとても尊い事だ。

冬は死の時期である。冷たく、厳しい情景は微かに点る生命まで消し去ってしまうほどに。

けれども凍えるように厳しく移ろう自然の情景は、それであるからこそ一層生命を照らす。

冬の終わりは照らされた生命が最も小さく輝く時期だろう。

 

季節をどう捉えるか、その感覚というものはタロットカードの解釈のように表裏一体だ。

どう感じ、どう解釈するか、それも四季に対する一つの楽しみ方だと思う。